「なかったこと」にし「歴史」を軽視する人々

このところ日々3月当時ないしは原発の現状について様々な情報が出てくるが、きちんと報道されていないのが「気持ち悪い」
震災直後「気持ち悪い」感じでいた理由がおぼろげながらみえてきた。
北海道新聞より

原発事故、最悪シナリオを封印 菅政権「なかったことに」(01/21 20:17)
 東京電力福島第1原発事故で作業員全員が退避せざるを得なくなった場合、放射性物質の断続的な大量放出が約1年続くとする「最悪シナリオ」を記した文書が昨年3月下旬、当時の菅直人首相ら一握りの政権幹部に首相執務室で示された後、「なかったこと」として封印され、昨年末まで公文書として扱われていなかったことが21日分かった。複数の政府関係者が明らかにした。

 民間の立場で事故を調べている福島原発事故独立検証委員会(委員長・北沢宏一前科学技術振興機構理事長)も、菅氏や当時の首相補佐官だった細野豪志原発事故担当相らの聞き取りを進め経緯を究明。

これだ。普通なにが事故がおこったら、「最悪の事態」を想定し打てる手を全てうつべきだろう。この報道から疑問に思ったのが2点
1)今回は最悪事態を想定した対策がなされていたのだろうか?
2)「公文書」になぜ残していなかったのか?
「公文書」になっていないということは、対策を取ろうとはしてなかったように思える。
私たちは歴史のただ中にいる。「公文書」として残さない限り、公式には残らないはずである。「歴史」を軽視していると言っても過言ではない。そしてこうした歴史を軽視するということは、「過去」についても同様だろう。とすると・・・日本はかつて行った過ちを行うに違いない。
すでに過去の「巨大地震の痕跡」をなかったこととして無視してきた。
他に何を繰り返すのだろうか?考えてみたい